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相川から着信があったのは日も暮れかけた頃合だった。
 ちょうどトレンチコートを着ようか着まいか、外気温の具合を確かめようと窓を開けたところだったために取り損ねてしまった。大事な用事ならすぐに掛け直してくるだろう。
 よし、出勤前に最後の一服だ。
 最近は張り込みしながらの煙草も世間的に許されない。
 随分住みづらくなってしまったこの町だが、世の中の秩序に溶け込んでこその探偵だ。つまらないことで警察の世話になったとなれば、信用第一のこの業界、それこそ看板を下ろさなくてはならない。
 少し草臥れたグレーのスーツジャケットに袖を通す。忽ち平凡なサラリーマンの出来上がりだ。
「さて、出るか。今日も何事もなく終わりますように」
 そう言いながら灰皿に煙草を押し付けたときだった。
 コンコンと、2回のノックが聞こえてきた。



 それはいつまでトイレ篭ってるんださっさとしろよ、という意味のノックだと習わなかったのか、失礼なやつだな。
 依頼者だかNHKだか知らないが、とにかく俺は今から出ないとならないのだから後にしてもらわないと困る。
 俺は扉を開けると同時に、
「済まねぇが、用があるなら明日にしてくれ」
 と言い放った。
 立っていたのは女だった。しかも結構若い。大きなサングラスを掛けていて容貌は明らかではないものの、洗練されたファッションも相まって、かなりの器量の持ち主であることは分かった。
「こんにちは。あなたが須佐さん?」
「お、おう……」
 ふと、どこかで聞いたことのある声が彼女から発せられた。
 いや、まさかな、ありえない。
「はじめまして。南です。相川から連絡があったと思うんだけど」
「相川から? いや、なかったが」
「そう? 使えないゴミね」
「……はい?」
 およそ女性が吐き捨てるべきではない台詞が聞こえたが、彼女はさも当然のように「ちょっと失礼」と携帯電話を操作し耳に当てる。会話からして相手は相川だろう。しかし南絢水と相川の関係性は何なんだ?
「ったく。いつもあなたはそうね。つくづく使えないクズだわ」
 ……うわぁ、相川同情するぜ。
 南絢水の口から飛び交う謗りの数々に驚かされるばかりだが、ひと通り言いたいことを言って満足した様子で通話を終えた。
「ふぅ……。とりあえず私から簡単に説明するわ。とりあえず中に入れなさい」
「いや、ちょっと待て」
 こいつ、やっぱり南絢水だよな……。さっき南だと自己紹介をし、背丈格好もそれっぽく立ち振舞も洗練されている。
 俺の声をまるで気に留めずに、突然現れた新進気鋭の女優たる南絢水は猫のように事務所へと滑り込む。
「貧相な部屋ね」
 と、毒を吐きながら。
「うちに何の用だ?」
 俺はドアノブに手をかけたまま、戸板に背を預ける。
 何せ、いくら客が女優だろうが刻一刻を争う。下調べは済んでいるから今回の星の大まかな行動パターンは分かるにしても、背中の見えない相手を尾行するのは骨折りだ。
「だからそれを説明すると言ったじゃない。客人にはお茶くらい出したらどう?」
「俺は急いでるんだ」
「どうせしょうもない仕事だからいいじゃない」
「しょうもないって……」
 確かに不倫調査なんてものは、夫婦とその子ども、場合によっては親族全員を不幸にすることはあっても、その逆はない。下らないとは思われても仕方ないが、とはいえ、需要があるから俺は探偵をやっているんだ。自分の仕事を頭ごなしに貶されて怒りを覚えない人間がいるだろうか。文句の一つでもつけてやらなきゃいけない。
「お前な……」
「いくら?」
「は?」
 だというのに、南絢水はさすが女優というところか、間の測り方が上手いのだろう。絶妙なタイミングで俺の言葉を遮る。その上ソファから上体を乗り出している姿が実に様になっている。
 これは負けだ。
 すでに南絢水のペースに嵌められている。
「今から行こうとしている仕事の成功報酬」
「そんなこと聞いてどうするんだ」
「さあね。でもあなたにとって損ではないと思うわ」
「はあ?」
「いくら?」
「言えないね。報酬なんつーのはクライアントによって異なる。故に個人情報の一部として、守秘義務がある」
「そんな法律あったかしら」
「俺のポリシーだ」
 さっきまで俺が寝そべっていたソファに深々と腰を掛けて南絢水は小首を傾げる。銀幕をそのまま切り取ったかのような見栄えだ。
「まあ、いいわ。500万」
「……なんだ、クイズでもしようってのか?」
 残念ながらがひとつ多い。探偵ってのはそんなに割のいい仕事じゃないわけよ。その辺は世間知らずだな、さすがに。
「違うわ。うちの事務所と契約を結べば、500万ってこと。頭金として」
「マジで?!」
 南絢水が蟲惑的な笑みを浮かべる。
「私の話、聞いてみない?」
「ほう……そいつは興味深いね」
「でしょう? よかったわ。あなたも芸能界の人間と大差ないお金に汚い人で」
「よせやい照れるだろ」
 仕方ない。今日の調査はキャンセルだ。信用第一? 信用ってのは金払いのよさのことだろ?
 俺は湯のみにティーバッグの紅茶を淹れ、「で、詳しい話を聞かせてくれ」と南絢水の対面に座る。
 もう頭の中は500万円という数字に完全に支配されている。しかも頭金が500万ってことはトータルいくらになるんだよ……!
「契約書は相川が持ってくる手はずになっていたのに、寝坊したそうよ」
「あー、やるよな、あいつ」
「知り合いなの?」
「そうだ。高校の同級生ってやつだ」
「相川が探偵にツテがあると豪語していたのはそういうことだったのね」
「どうせ話膨らませてたんだろうな、あいつ……」
「おかげで社長はあなたに過大な期待をしているわ。あなたに依頼料を払うだけの価値があるのかしら」
「俺を舐めるなよ?」
 南絢水は俺の威勢を鼻で笑い飛ばすと、ミルクも砂糖も入れずに紅茶を啜った。
「まずっ! なにこれ、ただの色水じゃない。しかも水道のカルキ臭さが残っているわ。最悪。こんなまずい紅茶初めて飲んだわ」
「そんなまずいか?」
 至って「普通」の手順で淹れた「普通」の紅茶だと思うんだが。
「淹れ直しなさい」
「は? なんでだよ」
「さもないとあなたの頭にこの出来損ないの色水をかけるわよ」
「まさか、冗談……」
 いや、冗談に思えないな、この目付き。しかもいつの間にやら中腰に構えている。彼女の手の中にある湯のみからは、相変わらずもうもうと湯気が立っている。
 了承しなきゃ何の躊躇いもなく紅茶をぶち撒けるだろう。長年こういう仕事をしていると、本気と冗談の境界線に敏感になるんだ、困ったことに。
「分かったよ、貸せ。火傷をするのは勘弁だ」
「物聞きがいい犬って好きよ」
「俺は犬じゃねぇ」
 しかし、2杯目の紅茶(曰く結局色水)は俺のズボンの染みとなって消えた。
「あっぢぃ!」
 南絢水の故意によって。
 ……絶対治療費分捕ってやる!
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bush cloverの主宰者やってます。
bush cloverというのは同人ゲーム製作サークルですよ。
担当はシナリオ、音楽、背景などなど。

作詞や演劇の脚本とか書いてみたいと思う今日この頃……。
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